大日本史
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大日本史(だいにほんし)は、神武天皇から後小松天皇まで(厳密には南北朝が統一された1392年(元中9年/明徳3年)までを区切りとする)の百代の帝王の治世を紀伝体で記した日本の歴史書。
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[編集] 概要
江戸時代に水戸藩主徳川光圀によって執筆が開始され、光圀死後には水戸藩及び水戸徳川家の事業として執筆・校訂が継続されて明治時代に完成された。本紀(帝王)73巻、列伝(后妃・皇子・皇女を最初に置き、群臣はほぼ年代順に配列、時に逆臣伝・孝子伝といった分類も見られる)170巻、志・表154巻、全397巻226冊。質の高い漢文体で書かれ、記事には出典を明らかにし、考証にも気を配っている。
光圀が歴史書編纂を志した背景には、
- 若い頃に中国の歴史書『史記』を愛読していた事。
- 明の遺臣である朱舜水らの亡命を受け入れて、彼らより満州族の清に中国大陸が征服された過程を知って、易姓革命や異民族による征服を経験せずに天皇による普遍的な統治が続いた日本こそが中華思想に基づく正統な国家であると認識した事。
- 林羅山父子が執筆していた歴史書『本朝通鑑』の草稿に大和民族(日本人)を「呉の太伯の末裔である」という記述を発見して憤慨した事。
という、事情があったと言われている。
明暦三年(1657年)水戸藩二代藩主徳川光圀が彰考館(史局)を置いて自ら監修を務めてから、明治三十九年(1906年)に十代藩主慶篤の孫にあたる徳川圀順が完成させるまで実に250年の歳月を要した(ただし、本紀・列伝は光圀存命中にはほぼ完成しており、幕末以後何度か刊行されている)。
[編集] 特色
次の点が三大特色とされる。
全体的に朱子学に基づいた水戸学=大義名分論とする尊皇論で貫かれており、幕末の思想に大きな影響を与えた。歴代天皇が現在のものに改編されたのも『大日本史』の影響とされている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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