永和市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台湾台北県永和市 | |
地理 | |
位置 | 東経121°17' 北緯24°56 |
面積 | 5.7138km² |
人口 | |
戸口(2007年1月) | 86,860戸 |
人口(2007年1月) | 235,782人 |
政治 | |
行政区分 | 県轄市 |
市長 | 洪一平 |
地方自治期間 | 永和市民代表會 |
下部行政区画 | 62里1,249鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 234 |
市外局番 | 02 |
県花 | - |
県鳥 | - |
県木 | - |
別称 | - |
|
|
|
永和市(えいわ/ヨンホーし、ピンイン:Yónghé、注音: ---))は台湾台北県に所属する県轄市。台北市市中心地へ向かう通勤人口を多数抱えており、台湾で最も人口密度の高い地域(1平方キロメートルあたり約4万人)として知られる。
目次 |
[編集] 地理
永和市は台北市の西南に位置する。北は新店溪という川を隔てて台北市萬華区、中正区、文山区と接し,南は中和市と隣接する。面積は約5.71平方キロメートル。
川を隔てた台北市とは中正橋、福和橋、永福橋という3つの橋と、台北捷運中和線で結ばれている。
[編集] 歴史
清の雍正年間、漳州人が大量に台湾に流入し、大佳臘(台北市の旧称)は泉州人により占拠された。1709年には福建の陳頼章が新店渓を渡り渓南の地を開発するようになり、1721年には文献に地名が記載されるようになり、当時は「板橋十三荘」と呼ばれていた。
1949年、今の永和市にあたる地域は、もともと中和郷(現在の中和市)に属していたが、1958年(民国47年)に永和鎮(永遠和平の里)として独立、さらに人口増加にともなって、1979年(民国68年)には永和市に昇格した。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 0 | |
高中 | 2 | 台北県立永平高級中学 私立金甌女子中学 |
高職 | - | 私立復興高級商工職業学校 私立智光高級商工職業学校 |
国中 | 2 | 台北県立永和国民中学 台北県立福和国民中学 台北県立永平高級中学 |
国小 | 5 | 台北県立秀朗国民小学 台北県立頂渓国民小学 台北県立網渓国民小学 台北県立永和国民小学 台北県立永平国民小学 |
[編集] 交通
[編集] 歴代市長
[編集] 特色
台湾の中でも著名な観光夜市の一つである楽華夜市(中和線頂渓駅付近)は、永和市で最も熱気のある地域である。
永和市は著名な豆漿発祥の地として知られ、豆漿店が多いことでも知られている。特に永和路二段にある「新世界豆漿大王」という店は、豆漿店の元祖として台湾のみならず、台湾外の華僑にも知られている。台湾内外の豆漿店に「永和」の名を冠す店も多い。