江田照男
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江田照男(えだ てるお、1972年2月8日 - )は福島県出身の日本中央競馬会(JRA)の騎手である。血液型A型。
1990年に美浦の田子冬樹厩舎所属でデビュー。1998年からフリーの騎手となる。
初騎乗は1990年3月3日中山競馬第1競走のカガミヤマで、10頭立ての4着だった。同年4月1日中山競馬第1競走で、カガミヤマに騎乗し初勝利を挙げる。
重賞初勝利は1990年の新潟記念で、サファリオリーブに騎乗しての勝利。重賞騎乗2戦目での勝利は当時の最速記録だった。
GI初勝利は、1991年10月27日東京競馬場での天皇賞(秋)。プレクラスニーに騎乗し、2位入線だったものの、1位入線の武豊騎乗のメジロマックイーンが18着に降着となり、繰り上がりでの勝利だった。実質的に6馬身差の完敗だったので、GI初挑戦初勝利、また10代での天皇賞制覇の偉業達成ではあったが、表彰式でも笑顔は見られなかった。しかし内心はやはり相当嬉しかったらしく、その後自主制作で記念テレホンカード発行していたりする。GIの騎乗機会が少ない中、GI2勝目は9年後の2000年10月1日中山競馬場でのスプリンターズステークスで、ダイタクヤマトに騎乗しての勝利だった。これこそがGIで初めて先頭でゴール板を通過したレースである。
「穴男」として有名。1998年の日経賞で最低の12番人気だったテンジンショウグンを勝利に導き、馬連21万馬券を演出。当時の重賞における馬連最高配当を記録した。同年の白富士ステークスでもマイネルナポレオン(11番人気)の勝利で12万馬券を出すなど、多くの穴馬券輩出に関わっている。ちなみにダイタクヤマトでのスプリンターズステークス制覇も、最低の16番人気でのものだった。
また現在でも江田のハイライトとして語り草になっているのは2000年のスプリンターズステークスに続き、2001年暮れの有馬記念から2002年冒頭の中山金杯に架けての、年を跨いでの大波乱演出である。第46回有馬記念では田子厩舎管理のアメリカンボスに騎乗し、13頭立て13番人気での2着連対。これも当時のGIにおける馬連最高配当を記録した。中山金杯でもタフグレイスの16頭立て13番人気での2着連対と神憑りの騎乗を披露。
このように事あるごとに波乱を演出するため穴党の競馬ファンには愛されている。江田が人気薄の馬に乗っている時は絶対に馬券に絡めるファンもいる。なぜこんなにも穴馬券に関わるのかは謎である。かと言って人気馬では駄目なのかと言うとそうでもなく、1999年から5年連続で年間50勝以上を挙げたこともあり、乗れる騎手でもある。ただ2006年は過去に無いほど不振に陥り、年間で18勝しか上げることができなかった。しかし重賞を2勝しており、しかも11番人気のフジサイレンス(東京新聞杯)と14番人気のカンファーベスト(関屋記念)で制したものであり、大波乱を演出する江田らしい一面を見せている。
[編集] エピソード
2006年1月9日、美浦トレーニングセンター内の風呂で、同じく騎手の田中剛より暴行を受けた。このことで、田中は騎乗停止の処分を受けたが、トラブルの元は、江田の普段のマナーの悪さに起因するそうである。