江馬輝盛
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江馬輝盛(えま てるもり、天文2年(1533年) - 天正10年10月27日(1582年11月22日))は江馬時盛の嫡男とされるが確証に欠ける。飛騨国高原諏訪城主。通称常陸介。
1573年、武田氏と手を結ぼうとした父?時盛を殺害して家督を継ぎ、上杉氏と手を結んだ。しかし大勢力に接する中小勢力の常として、武田家に従属したこともあった。その後一時三木氏(姉小路氏)の配下となり上杉方として越中へ出陣するなどしたが、1582年、本能寺の変により織田信長が横死すると、姉小路頼綱と飛騨の覇権をめぐって争い、八日町の合戦に敗れて討死したといわれている。一般にこれをもって江馬氏が滅亡したとされているが、その後継者と見られる江馬時政などの活動が史料より明らかとなっている。