浅野長喬
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浅野 長喬(あさの ながたか、享保17年(1732年) - 明和6年12月12日(1770年1月8日))は、広島新田藩の第2代藩主。初代藩主・浅野長賢の子。子に長容、娘(池田澄時婚約者→細川立礼婚約者→戸沢正親室)。官位は従五位下、兵部少輔。
延享元年(1744年)、父の死去により後を継いで藩主となる。彼が存命中は子ができなかったため、明和6年(1769年)12月10日に本家の広島藩から浅野宗恒の三男・浅野長員を養嗣子として迎え、その2日後に38歳で死去した。法号:泰潤院。墓所:江戸貝塚の青松寺。
子の浅野長容は長喬の死の翌年に誕生し、後に第4代藩主となった。
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