浅野長容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅野 長容(あさの ながかね、明和7年(1770年) - 文政7年1月6日(1824年2月5日))は、安芸国広島新田藩の第4代藩主。父は第2代藩主・浅野長喬。正室は浅野重晟の娘。子に娘(浅野長訓室)。官位は従五位下。近江守。
明和6年(1769年)に父の長喬が死去した際には誕生していなかったため、家督を継げなかった。寛政12年(1800年)9月10日、先代藩主の浅野長員が隠居したため、家督を継ぐ。文政元年(1818年)、浅野長訓を養嗣子として迎える。文政7年(1824年)1月6日に55歳で死去。家督は同年6月17日に長訓が継いだ。
|
|
|