浜口梧陵
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浜口 梧陵(はまぐち ごりょう、文政3年6月15日(1820年7月24日)-1885年(明治18年)4月21日)は紀州広村(有田郡広川町)出身の実業家・社会事業家。現在のヤマサ醤油の7代目浜口儀兵衛にあたる。
大量の藁の山に火をつけ、安政の大地震の2次災害「津波」から広村の村人を救った通称『稲むらの火』で有名。その際に『百世の安堵をはかる』と名言を残している。
そして当時では最大級の堤防を作り、破損した橋を修理した。4665両という莫大な費用は全て梧陵が自腹を切った。 小泉八雲は彼を『生ける神』と賞賛している。
耐久舎(現耐久高校)をも建設した。耐久高校は現在、150年以上の歴史を誇る和歌山県有数の伝統校になっている。
1880年に和歌山県の初代県会議長に就任した。1885年に出張先のアメリカ・ニューヨークで病没した。享年66。
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