海上郡
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海上郡(かいじょうぐん)は、千葉県にあった郡。人口21,982人、面積46.86km²。(2003年)
下総国に属する。 もとは「うなかみ」郡と読んだ。後に「かいじょう」郡という読みが行われるようになり、戦後は「かいじょう」郡が公式の読み方とされた。
消滅直前となる2005年6月30日の時点で、以下の2町を含んでいた。
2005年7月1日、以上の2町が旧・旭市および香取郡干潟町と合併し旭市となったため消滅した。
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[編集] 沿革
[編集] 古代・中世
- 下海上国造(しもつうなかみのくにのみやつこ)の領域を中心に編成された。下海上国造の領域は匝瑳郡、香取郡および鹿島郡の一部も含んでいたが、物部小事の坂東を征した功により匝瑳郡が建郡され、また香取神宮と鹿島神宮の神郡として香取郡、鹿島郡が建郡され条里を割かれたとされる。
- 上総国にも海上郡があった。
[編集] 近世
[編集] 町村制施行以降
- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、銚子町・本銚子町・旭町・飯岡町の4町と14村が置かれる。(4町14村)
- 1891年1月26日 - 椎芝村が椎柴村に改称。
- 1891年8月14日 - 伊豆原村が町制施行・改称して西銚子町となる。(5町13村)
- 1914年12月12日 - 浦賀村・足川村が合併し、浦賀村が発足。(5町12村)
- 1915年10月1日 - 浦賀村が矢指村に改称。
- 1933年2月11日 - 銚子町・本銚子町・西銚子町・豊浦村が合併し銚子市が発足、郡より離脱。(2町11村)
- 1937年2月11日 - 高神村・海上村が銚子市に編入。(2町9村)
- 1954年2月11日 - 旭町・富浦村・矢指村が合併し、旭町が発足。(2町7村)
- 1954年3月31日(3町3村)
- 鶴巻村・滝郷村・嚶鳴村が合併し、海上町が発足。
- 飯岡町・三川村、豊岡村の一部が合併し、飯岡町が発足。
- 1954年4月1日 - 船木村・椎柴村が銚子市に編入。(3町1村)
- 1954年6月1日 - 旭町が匝瑳郡豊畑村・共和村を編入。
- 1954年7月1日 - 旭町が市制施行し、旭市となり郡より離脱。(2町1村)
- 1956年7月1日 - 豊岡村が銚子市に編入。(2町)
- 2005年7月1日 - 飯岡町・海上町が旭市、香取郡干潟町と合併し旭市が発足、郡より離脱。同日海上郡消滅。