源兼綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
源兼綱(みなもとのかねつな、生年不詳- 1180年6月20日(治承4年5月26日))は、平安時代末期の摂津源氏の武将。源仲政の次男頼行の子として生まれるが、父が若くして自害したため、伯父頼政の養子となる。官職は従五位下・中宮少進・左衛門尉。検非違使を務め、通称を源大夫判官といった。
1180年、養父頼政は以仁王を奉じて打倒平家の兵を挙げる。当初平家方は、乱の首謀者が頼政であることを把握しておらず、以仁王追捕のために招集した検非違使の中に兼綱を含めるという愚を犯している。兼綱は頼政にこの動きを急報。これを受けた頼政は至急以仁王を園城寺に移し、事件は一気に急展開を見ることになる。