澄覚法親王
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澄覚法親王(ちょうかくほっしんのう、承久元年(1219年) - 正応2年(1289年))は、鎌倉時代の天台宗三千院の門跡。父は後鳥羽天皇の皇子雅成親王。母は藤原親経の娘。房号は円融房。
比叡山に入り、梶井門跡尊快入道親王に師事して出家し、真仙僧正から灌頂を受けた。1265年(文永2年)天台座主に任じられ、亀山天皇(後鳥羽天皇の曾孫)の護持僧となった。その後、一旦辞退したが1271年(文永8年)再び護持僧に任じられ、元寇の危機感が高まる中で異国降伏の祈祷を行っている。
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