門跡
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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門跡(もんせき、もんぜき)とは、日本の仏教の開祖の正式な後継者。「門葉門流」の意。門主とも。鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。
目次 |
[編集] 背景
宇多天皇が出家して仁和寺に入室し御室御所と称し、御室門跡となったのが始まりである。鎌倉時代初期頃からは皇族や摂家等の子弟が特定の寺院に出家するようになる。子弟らは荘園を所有しておりその経済力を背景とした政治力をもって、受け入れた寺院内の支配権を掌握するようになり、各門流を継承するようになった。これらが慣例化してやがて、「門跡」自体が「貴族」出身者によって継承される特定の院家・寺院を指す称号へと変化した。そして室町時代になると、寺格としての「門跡」が確立し、室町幕府には、門跡寺院に関する政務を執る門跡奉行が置かれた。さらに江戸幕府では、宮門跡、摂家門跡、清華門跡、公方門跡(武家門跡)、准門跡(脇門跡)などに区分して制度化した。
[編集] 門跡寺院
- 仁和寺(御室門跡)
- 青蓮院(粟田御所)
- 随心院(小野門跡)
- 浄土寺
- 平等院
- 本覚寺
- 法住寺
- 安祥寺
- 妙香院
- 禅林寺
- 常住院
- 如意寺
- 毘沙門堂
- 聖護院
- 三千院(梶井殿、梶井門跡、梨本門跡)
- 蓮華光院
- 勧修寺
- 三井寺円満院
- 興福寺一乘院
- 興福寺大乘院
- 輪王寺滋賀院
- 妙法院
- 實相院
- 曼殊院(竹の内門跡)
- 大覚寺
- 東南院
- 上乘院
- 知恩院
- 勝宝院
- 醍醐寺三宝院
- 醍醐寺金剛王院
- 菩提院
- 教令院
[編集] 宮門跡(親王門跡)
法親王、または入道親王が住職として居住する寺院。輪王寺、妙法院、聖護院、照高院、青蓮院、三千院、曼珠院、毘沙門堂、円満院、仁和寺、大覚寺、勧修寺、知恩院の13寺院のこと。十三門跡とも称する。実際には親王家に限って入寺するのは輪王寺・仁和寺・大覚寺の3門跡で、その他は摂家からも入寺することができた。
[編集] 摂家門跡
室町時代頃から用いられるようになり、摂家の子弟が住職となる。個々の門跡寺院に固有の称号ではなく、その時々の住持の出身を指す。
[編集] 准門跡
門跡に準ずる格式の寺院のこと。または、他の門跡寺に対して従の関係にある門跡寺のこと。脇門跡ともいう。
[編集] 天台宗五門跡・京都五箇室門跡
- 青蓮院、三千院、毘沙門堂、蔓殊院、妙法院
[編集] 醍醐五門跡
- 三宝院、報恩院、金剛王院、理性院、無量寿院
[編集] 五門跡
浄土真宗で、門跡に准ぜられた東本願寺、西本願寺、仏光寺、専修寺、興正寺の総称。五門徒ともいう。