澤村田之助 (3代目)
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三代目澤村田之助(さんだいめ さわむら たのすけ、弘化2年(1845年) - 明治11年(1878年))は幕末から明治にかけての歌舞伎役者。美貌の女形として人気を博したが、後年脱疽により四肢を切断。それでもなお舞台に立ちつづけた。
1845年、江戸生れ。父は五代目澤村宗十郎、兄に二代目澤村訥升。幼名由次郎。
1859年、三代目沢村田之助を襲名。翌1860年には十六歳にして立女方となる。河竹黙阿弥の作品に数多く出演し、悪婆役を得意にする。美貌と実力によって満都の人気を博したため、田之助髷、、田之助襟、田之助下駄など、その名を冠した商品が出回るほどだった。
1863年ごろ、ふとした傷から脱疽を患い、年を経るごとに悪化する。1867年、ヘボン博士の執刀により左足を切断し、以後義足をつけて舞台をつとめるものの、病状は一進一退をくりかえす。最終的には膝から下の両足、右の手首から先、左手の小指以外の指をことごとく失い、それでもなお女形として成功を収めたが、ついに1872年に舞台を引退する。
以後、沢村座を開場して舞台復帰するなど、芝居に対する意欲は終生かわらなかったが、興業的にはめぐまれず、上方への出勤が多くなる。最後は病の悪化とともに精神に変調をきたし、1878年に亡くなった。享年三十四歳。
容貌、技芸、人気ともに当時の女形としては第一人者であり、その勝気な性格によって、長命さえすれば九代目市川団十郎・五代目尾上菊五郎らと並ぶ大立者になっていたであろうと言われた。脱疽によって四肢を切断した後も、そのあでやかな芸風に変りはなかったと伝えられる。