瀧川鯉橋
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瀧川 鯉橋(たきがわ りきょう)は落語の名跡。滝川鯉橋とも表記。古くは麗々亭鯉橋。二つ目で名乗ることが多いので何代目とはあまり言っていない。
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[編集] 初代
後の3代目麗々亭柳橋。二つ目で麗々亭鯉橋を名乗ったと思われる。
[編集] 2代目
(弘化時代 - 明治初年?)俗に「ズイコ」。 馬之助(代数不明、蝶花楼?)の門下で小馬吉、3代目司馬龍生で龍女、初代土橋亭里う馬の門下で里う蝶、となって3代目麗々亭柳橋の門下で桃流、初代春風亭柳賀となり2代目を名乗る。晩年は桃流に複名し麗々亭一派で活動した。
[編集] 3代目
後の麗々亭柳左。二つ目で麗々亭鯉橋を名乗ったと思われる。
[編集] 4代目
後の8代目入船亭扇橋。二つ目で麗々亭鯉橋を名乗ったと思われる。
[編集] 5代目
(? - 1910年12月3日)、本名:福田金太郎。俗に「赤鼻の鯉橋」。 最初つるの家亀寿の門下で亀朝、6代目桂文治の門下で文勢、3代目柳亭左楽の門下で3代目語笑楽清我、4代目麗々亭柳橋の門で5代目襲名。
[編集] 6代目
瀧川 鯉橋(たきがわ りきょう、1971年1月31日 - )は、新潟県上越市出身の落語家。本名:高原 隆(たかはし たかし)
[編集] 外部リンク
[編集] 出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X