麗々亭柳橋 (4代目)
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4代目麗々亭 柳橋(れいれいてい りゅうきょう、1860年9月15日 - 1900年8月21日)は、本名、斉藤亀吉。享年41才。柳派に所属。父は3代目。
父の薦めで11才で時計屋に小僧奉公に行かされるも嫌がって脱走。14才の1874年にで3代目柳橋(後の初代春錦亭柳桜)に入門、小柳名乗る、5年で真打昇進、その後、1878年4代目柳橋襲名。1895年には柳派の中で内紛が起きて離脱し三遊派に身を投じる、1899年には和解し柳派に復帰。1900年7月に腸胃病で体調崩し引退。翌月に病死。
坐り踊りで人気を博す、落語は3代目譲りの人情噺が得意だった。
[編集] 出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X