玉川町
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玉川町(たまがわちょう)は愛媛県東予地方にあった町。高縄半島の中央部に位置していた。2005年(平成17年)1月16日、市町村合併により新しい今治市の一部となり消滅した。
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[編集] 地理
町の中央部を二級河川の蒼社川が流れている。中流域には玉川ダムがあり、蒼社川は今治市の上水道としての役割を担ってきたが、しばしば水害にも襲われてきた。
地質は主に領家帯の花崗岩が分布し、花崗岩の間隙からアルカリ単純泉が湧出する。この形態は道後温泉と同じである。その他、ホルンフェルス、安山岩が一部に分布。接触変成作用により銅鉱床が形成されており、一部零細鉱山が稼働していたが現在は閉山。そのほか花崗岩ペグマタイトによる珪石鉱床を胚胎し、一部採掘された。このような花崗岩ペグマタイト鉱床、接触変成による鉱床は越智郡内に数多く分布している。
花崗岩地形のため降水が集中すると、マサ部の表層崩壊が多数発生し、神戸六甲山麓と同様、土砂災害も懸念される。
また玉川ダム下流部には明瞭な河成段丘が分布する。
- 釈迦山
- 蒼社川
[編集] 歴史
- 1954年(昭和29年)3月31日: 鈍川村、久和村、鴨部村、竜岡村が合併し、玉川村となる。
- 1962年(昭和37年)4月1日: 町制施行し、玉川町となる。
- 2005年(平成17年)1月16日: 今治市、菊間町、大西町、波方町、朝倉村、吉海町、宮窪町、伯方町、大三島町、上浦町、関前村と合併し、新しい今治市となる。
[編集] 行政
- 町長:村上忠美
[編集] 経済
[編集] 産業
- 主要産業は農業、林業および今治市に隣接していることからタオルを中心とした繊維工業も盛んである。また町の面積のほとんどが山林である。その他、伊予三湯の一つ、アルカリ単純泉の鈍川温泉があり、観光産業も盛ん。国道317号の中継点として、今治市と松山市の中間にあり、近年はベッドタウンとしての機能を担ってきた。
- 主要農作物である生椎茸は、原木からのしいたけで、その味の質は非常に高い評価を得ている。近年では、これら玉川町の農作物を農家から直接購入することができる玉川湖畔の里などが整備された。町内山間部の竜岡地区のこの施設は周辺市町村からも多くの人が訪れ、特に4月初めの桜の開花時には大変なにぎわいを見せる。
[編集] 地域
[編集] 教育
町内のホール、体育館、美術館など公共施設は充実しており、住民は高い文化性を涵養することが可能である。しかし、旧竜岡村、旧鈍川村など山間部は過疎化が進み、近年も鈍川小学校が閉校されている。
[編集] 大学
- 玉川町内に大学は存在しない。
[編集] 高等学校
- 玉川町内に高等学校は存在しない。
[編集] 中学校
- 玉川町立玉川中学校
[編集] 小学校
- 玉川町立鴨部小学校
- 玉川町立九和小学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
- 玉川町内に鉄道は走っていない。
[編集] 道路
[編集] 高速道路
[編集] 一般国道
[編集] 都道府県道
- 愛媛県道154号東予玉川線
- 愛媛県道163号鈍川伊予大井停車場線
- 愛媛県道164号玉川菊間線
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
町内には弥生時代の土器や古墳があるほか、楢原山(奈良原山)頂からは、考古資料として極めて重要な、銅経筒および宝塔(国宝)が出土しているほか、釈迦山には釈迦如来立像(国指定重文)がある。四国八十八箇所の寺院として、第五十八番仙遊寺、第五十七番栄福寺があり、お遍路さんが行き交う。
- 玉川湖畔の里
- 四国八十八箇所
- 第57番札所・栄福寺
- 第58番札所・仙遊寺
- 玉川近代美術館
- 玉川町総合福祉センター
- 玉川町文化交流館
- グリーンピア玉川
- 玉川総合公園(テニスコート、ゲートボール場)
- 鈍川温泉
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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