琴稲妻佳弘
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琴稲妻佳弘(こといなづま よしひろ、1962年4月26日 - )は、群馬県利根郡みなかみ町(旧利根郡新治村)出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。現在は粂川親方。本名は田村 昌浩、最高位は小結。得意の型は突き押し、右四つ、寄り、上手投げ、肩透かし。地味ながら巧さの光る相撲で長く活躍した。血液型はO型。
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[編集] 来歴
1978年(昭和53年)3月場所、佐渡ケ嶽部屋から初土俵。四股名は第7代横綱・稲妻雷五郎に因む。素質にはあまり恵まれていなかったが稽古熱心でそれを補い、1985年(昭和60年)5月場所新十両、1987年(昭和62年)11月場所新入幕。稽古場では厳しく後輩を鍛え上げ、鬼軍曹と恐れられた。
入幕後しばらくは幕内中位で相撲を取ることが多かったが、1993年(平成5年)頃から攻めに巧さが加わるようになり、1994年(平成6年)9月場所には、優勝を争っていた大関の貴ノ浪、若ノ花を連破し、初の三賞となる殊勲賞を受賞した。1995年(平成7年)9月場所には、前頭筆頭で9勝を挙げ敢闘賞を受賞し、翌11月場所は33歳で新小結に昇進した。その場所初日、全盛期を迎えていた横綱・貴乃花を上手投げで投げ飛ばして周囲を大いに驚かせた。
同い年の水戸泉、栃乃和歌とともに長く現役を務めたが、1999年(平成11年)9月場所、十両で大きく負け越したのを最後に37歳で引退。思い出の一番として前述の貴乃花戦を挙げた。年寄・粂川を襲名し、佐渡ケ嶽部屋の部屋付きの親方として後進の指導にあたっている。下積み時代の痛風治療の副作用で髪の毛が抜けてしまい、おでこが広がってしまったのが特徴だった。そのため断髪式で断髪を行なった時は皆髪の毛にハサミを入れる動作だけを行ない、実際に髪の毛を切らなかったらしい。
[編集] エピソード
- 幕内昇進力士の中で取的時代に2度7戦全敗を経験したことがある数少ない力士である。
- 九州へ行くと、鹿児島県出身の薩洲洋とよく間違えられた(薩洲洋も髪が薄い)
- 相撲には厳しかったがファンやマスコミに対しては大らかな態度で接し頭髪の事に触れられても冗談で答えたりもしていた。
[編集] 主な成績
- 通算成績:752勝802敗30休(129場所)
- 幕内成績:405勝480敗15休(60場所)
[編集] 三賞・金星
- 三賞:2回
- 殊勲賞:1回(1994年9月場所)
- 敢闘賞:1回(1995年9月場所)
- 金星:なし
[編集] 改名歴
- 田村 昌浩(たむら まさひろ)1978年3月場所
- 琴稲妻 昌浩(こといなずま -)1978年5月場所-1985年9月場所
- 琴稲妻 佳弘(- よしひろ)1985年11月場所-1999年9月場所
[編集] 年寄変遷
- 粂川 佳弘(くめがわ よしひろ)1999年9月-