田中雅人
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田中 雅人(たなか まさと、2月4日 )は、日本の漫画家。千葉県我孫子市出身。
代表作に『妖魔ミカヅキ』、『あぶない! ジャンクポリス』など。
1984年、白泉社刊コミコミ吾妻ひでお増刊所収「いっこちゃん最後の日」でデビュー。 翌年、月刊コミコミ誌上で「おにゃんこエキスプレス」連載。以降、コメディ作品と幻想、ホラー系作品を両翼に複数の出版社で作品を発表するようになる。
なお別ペンネームで南京まーちゃんを持つ。
目次 |
[編集] プロフィール
高校在学中に漫画研究会「革命漫画党」に参加して習作を多数描くが、プロ作家になる気は無かったらしい。当時、隆盛だったSF小説に傾倒し、SF同人誌に参加する。 1982年、友人たちとミニコミ雑誌「れとりか」を立ち上げ、それが雑誌「宇宙船」の同人誌欄で紹介されて、コミケットへも参加するようになる。 その頃には漫画を描くのを辞めようと思っていたらしいが、オマケで掲載した4ページの漫画「ペンギン城奇談」が雑誌「マルガリータ」の編集の目にとまり、1983年スペースオペラ風コメディ「メビウス・サーガ」(笠原出版社)で一旦デビューする。 同時にかがみあきらのアシスタントに入るようになるが、半年後、氏の急逝で失業。 「メビウス・サーガ」も掲載誌の休刊のため2回で終了する。 その頃、漫画家ゆうきまさみ、計奈恵のアシスタントなどをする。ゆうきまさみの「ヤマトタケルの冒険」では3日間不眠不休で仕事をする。 その頃、新宿「ふりーすぺーす」で見つけたホラー漫画同人誌「METAL MILK」に手紙を出し参加。計奈恵の紹介により吾妻ひでおのレギュラーアシスタントになる。この頃でもまだ漫画家になる気はなかったらしい。 しかし、ようやく生活も安定するかに思えたが、半年後吾妻ひでおが失踪、そのままアシスタント生活を終え、白泉社から作品を発表するようになる。 同時期には新書館刊「ウィングス」でホラー短編を発表するようになる。 1989年単行本「妖魔ミカヅキ」発表後、「ネタやり尽くし感」に襲われ休筆、しばらく飲食系の仕事に従事。 半年後、竹書房「近代麻雀オリジナル」で麻雀漫画の連載を始めた頃から画風に変化が現れる。1991年、白泉社「アニマルハウス」で連載を始めた「あぶない!ジャンクポリス」からはコメディ路線が多くなっている。 この頃からやっと「プロ意識」も芽生えてきたらしい。
[編集] エピソード
- 黎明期のアメリカンホラー映画ファンでもあり、現在でもその嗜好に変りはないらしい。
- みのり書房時代のゆうきまさみのアシスタントをしていた頃は「漫画はバイトでアシスタントが本業」が口癖だったらしい。
[編集] 作品傾向
ラブコメディー系と幻想ホラー系作品に大別される。
[編集] 作品リスト
[編集] 白泉社
- 『妖魔ミカヅキ』
- 『彼女はヴァンパイア』
- 『あぶない! ジャンクポリス』
- 『サイコ』
[編集] 新書館
- 『キラーゴースト』
- 『黄昏通信』
- 『パーマネント・バケーション』
[編集] 久保書店
- 『菊の夢』
- 『ときめきインパルス』
[編集] 白夜書房
- 『おきゃん・ピン』
[編集] 徳間書店
- 『ドラゴン・シャフト』
[編集] ぶんか社
- 『CHO-BAD!』
- 『晴れたらKoi』(原作:水上桜)
[編集] オークラ出版
- 『放課後・ひとり遊び』
- 『放課後少女教室』