田口芳五郎
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田口芳五郎(たぐち よしごろう、1902年7月20日 - 1978年2月23日)は、長崎県西彼杵郡外海町(現・長崎市)出津(しゅつ)出身のカトリック枢機卿。洗礼名はパウロ。里脇浅次郎枢機卿と同じ出津教会出身。
大阪聖ヨゼフ宣教修道女会、百合学院、英知大学、小さき花の園幼稚園の創立者であり、戦前、戦後に渡って、多くの宣教者を海外から招請、布教や慈善を主とした社会事業に尽力した。
[編集] 略歴
- 1928年12月22日 司祭叙階
- 1937年7月 合名会社カトリック新聞初代社長就任
- 1941年12月14日 カスタニエ大阪司教の後、司教となる。四国知牧区教区長を兼任する。
- 1956年 カトリック教育協議会長
- 1969年8月5日 大阪教区が大司教区に昇格、大司教となる。
- 1973年5月5日 枢機卿に親任される。
- 1978年2月23日 帰天
戦時中、カトリックの聖職者や一般信徒までも「スパイ」「売国奴」などとと疑われるなどの風潮、また逮捕・監視などの迫害から国内のカトリック教会を擁護するための言論を行った。しかしその一環として、当時の国家権威を認める旨の執筆があったため、現在のキリスト教聖職者また信徒から厳しい責任追及・批判を受けている聖職者の一人である。