枢機卿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
枢機卿(すうききょう、すうきけい ラテン語:Cardinalis)はカトリック教会の用語で、教皇に次ぐ高位聖職者の称号。正式な称号は「聖なるローマ教会の枢機卿」(De Sanctae Romanae Ecclesiae cardinalibus)である。枢機卿(カーディナル)という言葉自体はラテン語の「Cardo」(カルド―蝶番)に由来している。これには枢機卿が教会にとって蝶番のように重要なものという意味がある。
枢機卿は枢機卿団を構成しているが、三つの位階に分かれており、それぞれ「司教枢機卿」「司祭枢機卿」「助祭枢機卿」という。枢機卿の任命は教皇によっておこなわれる。教皇庁貴族ともいうべき枢機卿団は教皇の顧問団として二つの任務を帯びている。一つ目は、教皇を補佐して教皇庁の運営に携わり、聖省の長官などの高級行政官として、あるいは教皇特使、すなわち教皇の名代としてヴァティカンの高級外交官としての勤めに携わる事である。二つ目はさらに重要なことだが、枢機卿団が教皇選挙権を持ち、互選によって教皇を選出する務めを持っていると言う事である。(教皇選挙をコンクラーヴェという。)
これらと関連して、教皇没後の使徒座空位時や何らかの理由による教皇座空位時には教皇庁の運営を指導する役割も担う。使徒座空位時の枢機卿団の職務と教皇選挙の詳細については1996年に発布された使徒憲章『ウニヴェルシ・ドミニチ・グレギシ』で規定されている。
目次 |
[編集] 機能と位階
枢機卿は多くの特権を持っている。たとえば枢機卿が司教でなくても司教同様の特権を受けることができる。その特権には指輪へのキスのような改まった挨拶を受ける権利も含まれているし、赤い角帽をかぶることも特権に含まれている。13世紀以来、枢機卿は緋色の聖職者服を身にまとう習慣がある。緋色は信仰のためならいつでもすすんで命を捧げるという枢機卿の決意を表す色である。
教皇は初めから枢機卿団によって選出されていたわけではない。古代においては教皇はローマ市民によって選ばれていた。中世に入って教皇の選挙権は枢機卿団のみが持つというシステムが構築されていった。キリスト教の歴史の中で、司教団にこの権限をゆだねようという動きが出たこともあったが、結局実現しなかった。
イギリスとフランスでは、宰相あるいは首席閣僚を枢機卿がつとめていた時期があった。たとえばイギリスのトマス・ウルジーやフランスのリシュリュー、マザランがそれにあたる。それは教会関係者が重用されたということではなく、聖職者の俸給は国家財産ではなく教会財産から出すことになっていたため、国家財産の節約になったからであった。教皇庁も枢機卿が国政の中枢にいることのメリットからこれを黙認していた。
教会法典第350条によれば、枢機卿には以下の三つの職階が存在する。
司教枢機卿は教皇によってローマ教区に属する周辺の教区の司教位の任命を受けるものと、東方典礼のカトリック教会の総大司教でも、枢機卿団に加わるのがふさわしいと教皇がみなしたものに与えられる位階である。司祭枢機卿(通常は教区司祭が任命される)・助祭枢機卿(教区司祭以外が任命される)は同様にローマにある名義教会の司祭職位あるいは助祭職位の任命を受ける。司祭階級・助祭階級といっても単に名称上のもので、実際の枢機卿はほとんど全員が司教である。
[編集] 歴史と変遷
枢機卿団の起源は、5世紀の教皇がローマに在住する司祭・助祭のあるものを自らの顧問団に任じたことであるとされる。その後、ローマ教区が拡大し、ローマ周辺にローマ教区に属する司教区が設けられると、その司教たちも枢機卿団に加えられた。これらが司祭枢機卿、助祭枢機卿、そして司教枢機卿のルーツである。当初の目的を果たすため、枢機卿はローマとその近郊から選ばれるのが通例であったが、ローマ教皇の権威が増していく中で、ローマ以外の地域からも枢機卿が選ばれるようになっていった。
中世に入って、枢機卿団が教皇宮廷の貴族という色合いを持ち始めると、枢機卿は信徒の男性であれば誰でも任命されうるものとなり、聖職者でない者も枢機卿団に加わっていた。たとえば16世紀の著名な枢機卿レジナルド・ポールは司祭叙階を受けるまでに18年以上も枢機卿職をつとめていた。現代では最低限の条件として司祭であることが必要とされており、通常は司教団から任命される。司祭が枢機卿に任命される場合は任命後に司教叙階を受けることが多いが、最近の例では2001年に枢機卿に任命されたイエズス会員アヴェリー・デュレスが枢機卿任命時に司祭であったが、高齢を理由に司教叙階の免除を願い出てゆるされている。
13世紀初頭にはわずか7人しかなかった枢機卿団であるが、16世紀に入って急速にその規模が拡大したため、シクストゥス5世の時代に枢機卿団の人数に70人という枠が設けられた。内訳は6名の司教枢機卿、50名の司祭枢機卿、14名の助祭枢機卿である。20世紀にいたるまでこの制限は守られていったが、教皇ヨハネ23世はこの制限を解除し、枢機卿団を増員した。また教皇選挙権は80歳以下の枢機卿に限り、その人数は120人までという制限がパウロ6世によってもうけられたが、ヨハネ・パウロ2世の時代には有資格者がこの人数制限を上回った時期があった。枢機卿団は互選で首席枢機卿を選出し、教皇の承認を受ける。最近まで首席枢機卿を務めたのが、教理省長官でもあったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現:ベネディクト16世)であった。現在の首席枢機卿は、アンジェロ・ソダーノ枢機卿である。
ヨハネ・パウロ2世は精力的に枢機卿を任命してきたが、2003年10月21日に在任中最後となる枢機卿任命を行い、枢機卿団の人数は194人、そのうち80歳以下で教皇選挙権を持つものは135人となった。2005年3月の時点では、枢機卿団183人で教皇選挙権保持者は117人となっており、このうちの115人が実際に2005年のコンクラーヴェに臨んだ。
日本人の枢機卿は、1960年3月28日に土井辰雄東京大司教(職名は任命当時のもの、以下同)が初めて任命され、以後、1973年3月5日に田口芳五郎大阪大司教、1979年6月30日に里脇浅次郎長崎大司教、1994年に白柳誠一東京大司教、2003年に濱尾文郎大司教の5人が選ばれている。最初の3人はすでに他界しているため、2005年現在、日本国籍をもつ日本人の現職枢機卿は、白柳誠一枢機卿と濱尾文郎枢機卿の2人である。
[編集] トリビア
枢機卿は真紅の衣をまとうことから、ヨーロッパ諸語では「カーディナル(枢機卿)」は「赤」の代名詞となった。特に生物学ではショウジョウコウカンチョウ、カーディナルテトラの例のようによく使われる(日本語では猩々が使用される)。 アメリカメジャーリーグのセントルイス・カージナルスはショウジョウコウカンチョウにちなんだもので枢機卿とは直接関係ない。