真然
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真然(しんぜん、延暦23年(804年) - 寛平3年9月11日(891年10月21日))は、平安時代前期の真言宗の僧。俗姓は佐伯氏。讃岐国多度郡の出身。中院僧正・後僧正とも称される。空海の甥と伝えられている。
出家後奈良大安寺に住し、真雅に師事して真言密教を学び、空海の没後の高野山の経営に尽力した。836年(承和3年)に真済とともに唐へ渡ろうしたが失敗している。874年(貞観16年)権律師に任じられ、その後僧正まで昇任した。884年(元慶8年)東寺長者に任じられ、891年(寛平3年)に没するまで在職した。この間、東寺の真雅から借りていた「三十帖冊子」を高野山に持ち出したことは、その後東寺と高野山との紛争の原因となった。