知識
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知識(ちしき)とは、人などが物事の性質や定義などについて抱いている考えや技能の一種で、通常、有用であること、正確であること、などの特徴を持っている。 知性の働きに関連する。
知識は様々な観点で分類される。
心理学では、知識は長期記憶として扱われ、記憶の分類そのままに、表象化された知識を「宣言的知識」、行動的な知識を「手続き的知識」と分類している。 宣言的知識の例としては、科学的法則についての知見(九九、地球上での重力定数など)や、社会的規約についての知見(日本国の首都は東京である、赤信号が点灯したら停止するなど)が挙げられる。
手続き的知識の例としては、箸の使い方、ピアノの弾き方、車の運転の仕方などが挙げられる。
前者をknowing that 、後者をknowing howと呼ぶこともある。 形式化、伝達方法の観点から、知識は「形式知」「暗黙知」に分類される。主にナレッジマネジメントの世界で利用される分類である。
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- 暗黙的知識(→暗黙知)
- 宣言的に記述することが不可能か、極めて難しい知見。手続き的知識や直観的認識内容は暗黙知とされる。例えば「美人」についての知識は誰でも持っているが、それを明確に定義することはできない。
[編集] 哲学における知識
哲学では、認識論において知識とは何かということが伝統的に問題となってきた。
[編集] 知識の古典的定義
現代英米の分析哲学では、知識の古典的定義として以下のものが用いられる。
ある認知者Aが「Xである」という知識を持つのは以下の場合、その場合にかぎる。
- Aは「Xである」と信じており、かつ、
- Aの「Xである」という信念は正当化されており、かつ
- 「Xである」は真である。
これを一言で言えば、「知識とは正当化された真なる信念である」ということになる。
この分析にたいしては1950年代にゲティアが強力な反例を出した(ゲティア問題)。ゲティア問題とは、簡単にいえば、正当化された真なる信念を持っているにもかかわらず、どう考えても知っているとはいえないような状況が想像できる、という問題である。これをうけて、その後の分析系認識論は、知識の古典的定義に様々な形で手を加えて満足のいく分析を模索してきた。
哲学や生物学的な立場から、人間に生まれながらにして備わっている知識を「アプリオリな知識(先天的知識)」、誕生後に社会生活などを通して獲得する知識を「アポステリオリな知識(後天的知識)」と分類することもある。 アプリオリな知識が存在するかどうかは認識論において長年の問題であった。イギリス経験論においてはアプリオリな知識の存在を否定し、心を白紙としてみる極端な経験主義の立場がロックらによって提唱された。大陸合理論の系譜においてはカントをはじめ、なんらかのアプリオリな知識を認める立場が主流であった。
[編集] 関連項目
- ナレッジマネジメント 組織経営や地域開発などにおいて用いられる知識の共有を促進するための方法、またはその方法を研究するための学問分野
- 唯識 仏教哲学の一種で、知識の分類、体系化、それらの知識の生成過程などについて考察するもの。
- 認識論 知識の獲得がいかに可能であるか、正しい知識の獲得の方法や知識の正しさの確認方法などについて研究する哲学の一種
- データマイニング