石上乙麻呂
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石上 乙麻呂(いそのかみの おつまろ、生年不詳 - 天平勝宝2年9月1日(750年10月9日))は、奈良時代の公卿・文人。父は石上麻呂。子に石上宅嗣がいる。名については弟麻呂とも書く。
左大弁を勤めていた739年(天平11年)藤原宇合の妻久米若売(くめのわかめ)との姦通の罪を問われて土佐国に配流に処せられた。一説には中央政界内部の争いによる冤罪であるともいわれている。その後赦されて、西海道巡察使・治部卿・右大弁などを経て中納言に至った。
和歌・漢詩にも秀で「万葉集」「懐風藻」に歌や漢詩が取り上げられている。