石川倉次
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石川 倉次(いしかわ くらじ,1859年2月28日(安政6年1月26日) - 1944年(昭和19年)12月23日)は、日本の教諭。
- 1859年浜松市でうまれる。
- 1879年小学校教師となる
- 1886年訓盲院(後に東京盲唖学校)教師となる
- 1890年ルイ・ブライユが考案した6点式点字で日本語を表記する事に成功(12点式を6点式に変えた)
- 1910年東京盲唖学校が、東京盲学校と東京聾唖学校に分離した際、東京聾唖学校へ異動。
日本における盲教育における一大人物であり、聾唖学校への転出は非常に惜しまれたが、「盲教育に比べて聾唖教育は、若い教育者には難しい。」という理由で盲教育の場を去った。