石川昭光
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石川 昭光(いしかわ あきみつ、天文19年(1550年) - 元和8年7月10日(1622年8月16日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達晴宗の四男で、伊達輝宗の弟。伊達政宗の叔父に当たる。
通称は次郎。初名は親宗。1568年に岩城郡石川郡主・石川晴光の養嗣子となり、石川三芦城に入って石川姓を名乗った。1585年の人取橋の戦いでは蘆名氏や佐竹氏と同盟して、甥の政宗と戦った。
1590年、豊臣秀吉の小田原征伐で所領を没収され、実家の伊達家に臣従し、三兄の留守政景とともに政宗を補佐し、伊具郡角田城に1万石を与えられた。伊達氏の家格では御一門であった。1603年、嫡男の石川義宗(1577年 - 1610年)に家督を譲って隠居したが、義宗が1610年に早世し、その後を継ぐはずの嫡孫である石川宗敬(1607年 - 1668年)が幼少のため、家督に復帰して政務を執った。1622年7月10日、死去。享年73。