留守政景
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留守 政景(るす まさかげ、天文18年(1549年) - 慶長12年2月3日(1607年2月28日))は伊達晴宗の三男。妻は黒川晴氏の娘。居城は初め岩切城(高森城)、後に利府城。
[編集] 経歴
1567年、父・晴宗の政略によって奥州の名族・留守氏を継ぐことになった。その後、政景の継承に反対する一族・重臣の反抗を鎮圧し、兄・輝宗や甥・政宗を補佐し、実家の伊達家の勢力拡大に貢献し各地を転戦する。一門であったため、当主に代わって伊達軍の総大将を務めたこともあったが、大崎合戦では岳父の晴氏の裏切りに遭い、手痛い敗戦もしている。
1591年、豊臣秀吉の小田原征伐に従わなかったために所領を没収される。以後は伊達家に戻って、文禄の役に渡海して出陣、1600年の関ケ原の戦いでも最上氏の救援に赴き、上杉氏と戦った。