石川総尭
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 延享元年7月16日(1744年8月23日) | |||
死没 | 明和元年11月14日(1764年12月6日) | |||
別名 | 吉六(幼名)、総矩(初名) | |||
戒名 | 大礼日定恭敬院 | |||
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 | |||
官位 | 従五位下、左近将監、主殿頭 | |||
藩 | 伊勢亀山藩主 | |||
氏族 | 石川氏 | |||
父母 | 父:石川総慶、母:まん(吉野氏) | |||
妻 | 正室:なし | |||
子 | 養子:石川総純 |
石川 総尭(いしかわ ふさたか)は、伊勢亀山藩の第2代藩主。
延享元年(1744年)7月16日、初代藩主・石川総慶の次男として江戸で生まれる。初名は総矩(ふさのり)であったが、宝暦5年(1755年)に総尭と改名した。宝暦9年(1759年)に兄の石川総英が早世したため、11月に世子に指名される。宝暦10年(1760年)7月に従五位下、左近将監に叙位・任官された。
明和元年(1764年)6月30日に父が死去したため、8月23日に家督を継いで第2代藩主となり、主殿頭に遷任する。しかし父の後を追うように11月14日に江戸で死去した。享年21。
後を養子の石川総純が継いだ。
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