石弘
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石弘(せきこう、312年-334年)は、五胡十六国時代の後趙の第2代皇帝(在位:333年-334年)。字は大雅。
312年に初代皇帝・高祖明帝(石勒)の次男として生まれる。早くから父より皇太子に指名されたが、武人肌であった父と違って儒家と親しみ、文学に興味を示す文化人だったと言われる。そのために気が弱く、333年に父が死去すると、皇位を従兄弟であり武人・殺人鬼として恐れていた石虎に譲ろうとしたが、石虎が拒絶したため、やむなく即位して第2代皇帝となった。
しかし実権は石虎に握られていたため、傀儡皇帝の立場に等しかったといわれる。334年、石虎によって殺され、皇位も石虎に奪われた。享年23。
[編集] 宗室
[編集] 父母
- 父:高祖明帝(石勒)
[編集] 従兄弟
- 太祖武帝(石虎)
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