石田芳夫
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石田芳夫(いしだ よしお、1948年8月15日 - )は、日本の囲碁棋士。愛知県西春日井郡新川町(現清須市)出身、木谷実九段門下。1971年に22歳の史上最年少で本因坊となって秀芳と号し、本因坊5連覇により24世本因坊の資格を持つ。1974年に名人となり、選手権制で3人目の名人本因坊となる。正確な計算と形勢判断により「コンピューター」の異名を持つ。また大手合30連勝の記録がある。
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[編集] 経歴
1957年木谷実九段に入門、1963年入段。同じ木谷門の若手であった加藤正夫、武宮正樹とともに黄金トリオと呼ばれる。1968年首相杯争奪戦に優勝、1970年六段で日本棋院選手権に優勝。1971年に林海峰本因坊を破って22歳で本因坊となり、以後5連覇。林からは3年連続で挑戦を受けたが撃退し、林の天敵とも言われた。1973年に林海峰名人に挑戦するが、3連勝後の4連敗という7番勝負史上初のスコアで敗れる。1974年には林海峰名人を破り、名人本因坊となる。これにより九段に推挙され、入段以来11年で九段到達の記録を作る。1978年には本因坊戦挑戦者となるが、加藤剱正本因坊に3-4で敗れ、1979年には棋聖戦挑戦者となるが藤沢秀行棋聖に1-4で敗れる。その後王座、天元のタイトル獲得や早碁棋戦優勝はあるが、実績からすれば低迷中と見られている。
1971年のプロ十傑戦では、梶原武雄との決勝五番勝負第3局で、取り番でないコウを取り、反則負けを記録している。
地に辛い棋風で、三々を多用し、両三々も得意戦法とした。ヨセが強いというイメージが強いが、序盤構想も意欲的である。大斜定石の研究家としても知られ、中国流布石に対抗する白番の有力な手法としても活用した。
置碁の名手として知られ、1972年から2年間「棋道」誌上でアマチュアとの2子から5子局の指導碁シリーズを打ち、23勝1敗という結果だった。またTV等での囲碁解説者として、明快な説明に定評がある。現在は石田芳夫囲碁道場を開いている。ギターが趣味で、本因坊を奪取した頃には弾き語りをする姿が雑誌に掲載され、現代っ子の本因坊として話題を集めた。
[編集] タイトル歴
- 日本棋院選手権 1970-71年
- 本因坊 1971-75年
- プロ十傑戦1位 1971、1972年
- 日本シリーズ 1973年
- 名人(旧) 1974年
- 王座 1974、1978年
- 早碁選手権戦 1980、83、84年
- 天元 1984年
- NHK杯 1987、1990、2001年
- IBM杯早碁オープン戦 1988年
- NEC杯 1988年
その他
- 首相杯争奪戦 1968年
- 新鋭トーナメント戦 優勝 1969年
- NHK杯 準優勝 1971、85年
- 名人戦 挑戦者 1973、86年
- 本因坊戦 挑戦者 1978年
- 棋聖戦 挑戦者 1979年
- 王座戦 挑戦者 1980年
- JAA杯戦 準優勝 1980年
- 早碁選手権 準優勝 1987、2002年
- NEC杯 準優勝 1989年
- IBM杯早碁オープン戦 準優勝 1989年
- 竜星戦 準優勝 1992年
- リコー杯プロペア碁選手権戦 準優勝 1995年(中沢彩子とのペア)
- 日中スーパー囲碁
- 1989年 0-1 (×兪斌)
- 真露杯SBS世界囲碁最強戦
- 1994年 0-1(×徐奉洙)
- 棋聖戦リーグ4期、名人戦リーグ9期、本因坊戦リーグ6期(在位を除く)
[編集] 受賞等
- 1985年 テレビ囲碁番組制作者会賞
- 1994年 ジャーナリストクラブ賞
[編集] 主な著作
- 『逆転力 ぼくはこうして勝つ』 実業之日本社 1974年
- 『石田芳夫打碁集 (1)-(3)』大泉書店 1975年
- 『秀策 (日本囲碁大系15)』 筑摩書房 1976年
- 『碁を覚えよう 石田の囲碁1』日東書院 1976年
- 『碁に強くなろう 石田の囲碁2』日東書院 1976年
- 『布石と定石を打とう 石田の囲碁3』日東書院 1976年
- 『活きよう、攻めよう 石田の囲碁4』日東書院 1977年
- 『戦いに勝とう 石田の囲碁5』日東書院 1977年
- 『石田芳夫 (現代囲碁大系37,38)』 講談社 1980年
- 『差をつける手筋発見法 (日本棋院新書―昇段編)』 日本棋院 1985年
- 『よく分かる手筋と俗筋 (日本棋院新書―進級編)』 日本棋院 1986年
- 『強くなる必修手筋250 (日本棋院新書―入段編)』 日本棋院 1987年
- 『道策・秀策・呉清源—道を拓いた三大巨星』 誠文堂新光社 1987年
- 『石田芳夫 (現代囲碁名勝負シリーズ6)』講談社 1987年
- 『石田芳夫のプロプロ置碁 (New別冊囲碁クラブ)』 日本棋院 1987年
- 『石田の形勢判断』 毎日新聞社 1989年
- 『大斜大作戦―全局で圧倒する (有段者シリーズ8)』 土屋書店 1993年
- 『強くなる手筋作戦 (日本棋院新書―入段編)』 日本棋院 1994年
- 『差をつける手筋の魔力 (日本棋院新書―昇段編)』 日本棋院 1994年
- 『明解初級囲碁読本』 誠文堂新光社 1994年(小川誠子六段との共著)
- 『基本定石事典 (上)』 日本棋院 1996年
- 『基本定石事典 (下)』 日本棋院 1996年
- 『布石のなかの定石―石の心と方向を説く (新・木谷道場入門1)』 河出書房新社 1996年
- 『形勢判断とヨセ―どう判断しどう打つか (新・木谷道場入門10)』 河出書房新社 1996年
- 『難解定石の活用法 上級を目指す』 河出書房新社 1997年
- 『囲碁 級位者のための本筋の打ち方』 誠文堂新光社 1998年(小川誠子六段との共著)
- 『布石の絶対感覚 上級を目指す』 河出書房新社 1998年
- 『形勢判断の決め手 上級を目指す』 河出書房新社 1999年
- 『囲碁 級位者のための勝率アップの決め手』 誠文堂新光社 2000年(小川誠子六段との共著)
- 『シマリの技法 最強囲碁塾』 河出書房新社 2002年
- 『布石の決め手 最強囲碁塾』 河出書房新社 2004年
- 『碁の計算学入門 (MYCOM囲碁文庫シリーズ)』 毎日コミュニケーションズ 2006年
- 『次の一手何目 (棋苑囲碁ブックス)』 棋苑図書 2006年
- 『定石のビフォー・アフター (MYCOM囲碁ブックス)』 毎日コミュニケーションズ 2006年
- 『囲碁の新常識 上級を目指す』 河出書房新社 2006年
[編集] その他
- 本因坊挑戦時の「林さんのいったいどこが強いんですか」という発言や、「コンピューター石田」のニックネームなどと相まって、クールというイメージにより「新時代の勝負師」など現代的棋士像の代表のように言われた。
- 1977年にコロムビアからレコード「忘れるぜ」「ひよわな花」を出し、歌手デビューした。
- IBM杯早碁オープン戦の初代優勝者となった時「早碁に強い者が本当に碁が強い」と発言し、論議を呼んだ。
- 平成18年(2006年)4月、第54回NHK杯テレビ囲碁トーナメント1回戦において中野泰宏九段と対戦。終局直前の場面で黒番の中野九段優勢であったところ、中野九段が自ら駄目を詰めて石を取られに行くという大失着を犯し(その結果、左辺一帯の黒石は全滅)、まさかの大逆転勝利。話題となった。
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
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