礼号作戦
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礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)とは太平洋戦争末期、1944年12月26日に行われた日本海軍によるフィリピン、ミンドロ島のアメリカ軍に対する攻撃。
[編集] 概要
12月15日にアメリカ軍を中心とした連合国軍がミンドロ島に上陸。これに対し、日本海軍は水上部隊によるミンドロ島西部マンガリン湾のアメリカ軍への攻撃を決めた。日本海軍の部隊(挺身部隊)は重巡洋艦「足柄」、軽巡洋艦「大淀」、駆逐艦「霞」(旗艦)、「清霜」、「朝霜」、「榧」、「杉」、「樫」で(第四航空戦隊の航空戦艦「日向」・「伊勢」も出撃可能であり、作戦参加も検討されたが、低速の為部隊からはずされた)、艦隊指揮は木村昌福少将が取った。
12月24日に挺身部隊は仏領インドシナのカムラン湾を出航した。12月26日、アメリカ軍のB-25などによる空襲を受けるが被害は足柄、大淀が小破、清霜が大破したにとどまった。清霜はその後魚雷艇の雷撃により沈没した。空襲の約2時間後、挺身部隊はマンガリン湾に突入し、湾内のアメリカ軍の輸送船4隻を雷撃・撃沈した他、飛行場などを砲撃し地上の航空機多数を破壊し離脱、その後木村昌福少将は撃沈され漂流中の「清霜」乗員救助を旗艦「霞」で行いカムラン湾へ帰投した。これに対しアメリカ海軍は艦隊を派遣したが、日本海軍への攻撃には間に合わなかった。
この作戦は成功したものの、完全に日本軍に対し不利になっていた戦況には大きな影響を与えなかった。なお、太平洋戦線における帝国海軍の最後の勝利である。
[編集] 参考文献
- 木俣滋郎『第二水雷戦隊突入す-礼号作戦 最後の艦砲射撃』(光人社NF文庫、2003年) ISBN 4769823754