神保光太郎
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神保光太郎(じんぼこうたろう、1905年(明治38年) - 1990年(平成2年))は昭和期の詩人・ドイツ文学者。
1905年(明治38年)山形県に生まれ。29歳のときに埼玉県浦和市(当時)の別所沼のほとりに家を新築して住み、以来この地を活動の拠点として、埼玉の市の発展に寄与した。山形東高校―京都大学卒業。太平洋戦争中、占領したシンガポール(昭南市)の昭南日本学園の校長をした。
[編集] 校歌の作詞
山形県内の学校の校歌の作詞のほとんどは神保光太郎である。山形の名勝(蔵王山、最上川、鳥海山など)がその学校の土地にあわせて書かれている。