別所沼 (さいたま市)
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別所沼(べっしょぬま)は埼玉県さいたま市南区別所にある沼である。沼の周辺は別所沼公園として整備され、北部の児童広場では休日、子供達でにぎわっている。
[編集] 別所沼の歴史や情報
昔、大宮台地の丘陵の低地に、湧き出した水が溜まり、それが沼になった。その沢のあとは遊歩道になっている。 それからはヨシや、マコモなどが生い茂っている湿地帯であり、1957年(昭和32年)、沼の南部の別所や鹿手袋周辺の田圃に灌漑用の水路を引いた。それを別所排水路という。さいたま市の桜の名所のひとつでもある。詳しくは別所排水路を参照。それ以後用別所沼は水のため池となった。昭和初期に沼を掘って周辺に桜などを植え野球場などを造り、昭和園と名づけられた。そのときに沼の中央の西側にある、弁天島という島がつくられた。その島には別所沼弁財天が建っている。そして、1951年(昭和26年)旧浦和市が都市公園としての整備を始め、1956年(昭和31年)に埼玉県に寄付されたが、2003年(平成15年)にさいたま市の政令指定都市移行を記念して、公園の管理はさいたま市に移管(事実上の返還)された。最近では護岸整備(沼の南側は2007年2月に完了、北側はだいぶ前に完了している)や噴水の設置、散策用に沼に迫り出したデッキなどもできている。デッキは何年かに一度取り壊して新しいものにしている。沼の周辺を走れるジョギングコースもある。また、詩人立原道造が別所沼の畔に建つセカンドハウスとして設計したが、夭折したために実現には至らなかった「ヒアシンスハウス(風信子荘)」が2004年(平成16年)に完成した。
この沼には伝説があるという。別所沼の底に大蛇が住んでいるといわれている。そのため、どんなに日照りが続いても水が涸れることがなかったという。日照りが続くと明治維新の前、あるいは昭和初期の頃まで、日照りの時に別所沼の主である大蛇をカヤで大きな蛇形を作り、何十人もの若者が沼に入って、かけ声をあげて長時間暴れ回り、大蛇を怒らせて雨を降らせようとする、雨乞いの儀式が執り行われていたといわれる。