福岡玉屋
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福岡玉屋(ふくおかたまや)はかつて福岡県福岡市博多区中洲で営業していた百貨店。
[編集] 概要
長崎県佐世保市で大正9年(1920年)に九州で2番目の百貨店を開業させた田中丸一族は、大正14年(1925年)に、福岡市中洲に福岡市で初となる百貨店をオープンさせた。
第二次世界大戦後、福岡市で初の水着ファッションショーを開催するなど、様々なアイデアを駆使し、現在は伊勢丹傘下となった天神地区の岩田屋とともに地域の百貨店として親しまれた。
しかし、昭和40年代以降、博多駅の移転や西日本鉄道などによる天神地区の商業開発などで中洲地区の商業地盤が徐々に低下。売上げの落ち込みは止まらず、店舗も老朽化した。福岡市は、現在の博多リバレインにあたる下川端地区の再開発で福岡玉屋に核テナントしての入居を要請。しかし社内の議論は二転三転し、結局要請を断った。そのせいもあって売り上げの落ち込みは止まらず、経営の維持が困難となり、平成11年(1999年)7月15日に閉店、百貨店としての70年あまりの歴史に幕を下ろした。この日は、「博多祇園山笠」の「追い山」の日にあたり、地元の「中洲流」が「博多祝い歌と博多手一本」で、長年の地域への貢献への感謝を表した。
その後建物の解体までには数年を要したが、外資系企業などを中心としたプロジェクトグループにより新たなビルが建設され、2006年、新たな商業施設「ゲイツ・中洲」がオープンした。しかし現状では、一部のフロアが埋まらない状態となっており、地元から不満の声も上がっている。
[編集] 関連項目
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