穢多寺
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穢多寺(えたじ・えたでら)とは、江戸時代に被差別部落の住民が檀家としていた寺院の呼称である。穢寺ともいう。
江戸時代、穢多・非人には仏教信仰の自由が認められておらず、関西においては宗派が真言宗、浄土真宗本願寺派等々に限定されていたため、穢多寺のほとんどは浄土真宗本願寺派に所属していた。神道信仰も同様の差別があり、神社の氏子になることも参詣することも許されなかった。そのため関東においては白山神社の祠を被差別部落の住民自らが建立して祭った例も見られた。
本願寺派教団は幕藩体制の身分制度に準じて、部落の寺院・僧侶を「穢寺」・「穢僧」と呼んで差別し、本山への上納金を宗派内の他の寺院と比べ五割増の負担を強いた。
また、壬申戸籍の族称欄の記載が、たとえ「平民」であっても、寺社名欄の記載が朱筆された「穢寺」であるかないかによって、「旧穢多」身分であることが分かってしまった。