立山修験
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立山修験(たてやましゅげん)とは、富山県の立山を中心として行われた修験道をいう。
奈良時代の佐伯有頼による立山開山伝説を、その発祥とする。剱立山連峰に対しては、浄土あるいは地獄と両様の語りようをされるが、他界が存在するという信仰があり、立山を巡拝することで救われると伝えられるようになったものである。
立山山麓には、芦峅寺をはじめとした信仰の拠点であり、宿坊を兼ねた宗教的な村落があり、それらを中心に勧進が行われていた。
また、立山修験の世界観は、今日まで伝わる立山曼荼羅に描かれた世界を見ることで、窺い知ることができる。立山浄土の世界では、立山三山、なかでも雄山が、阿弥陀浄土とされていた。雄山登山を代々重視して来たのは、そこが極楽浄土であるとする信仰による。また、開山伝説に登場する矢傷を負った阿弥陀像も、信仰の対象となった。
それに対して立山地獄とは、現在の地名にも残る地獄谷の硫黄臭ただようさまであるし、その上のみくりヶ池は、血の池として、また、剱岳は針の山として恐れられた。
さらに、女人禁制であった当時は、入峰を許されない女性のための布橋大灌頂という行事が芦峅寺で盛んに行われた。
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