第2次RCC
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第2次RCC(だいにじ・アール・シー・シー)は、第二次世界大戦前に存在した日本初のロッククライミング同人であったRCCの登攀を継承発展する目的で設立された山岳会である。本部は東京に置かれ、設立の発起人は奥山章であった。また、RCCの創立者であった藤木九三が、奥山の懇願によって最高顧問に就任している。
国内においては、『日本の岩場』という岩場のルート図集を発刊し、各ルートのグレード(RCC II)を公にし、また、未登のルートを開拓している。海外では、アルプス三大北壁(アイガー、マッターホルン、グランド・ジョラス)や、ドリュー北壁などの難壁の登攀に成功する。
昭和48年(1973年)には、当時未登であったエベレスト南壁(現・南西壁)に、総勢48名という大規模な遠征隊を送る。南壁ルートは天候の急変によって、8,380mの当時の最高到達点までで登頂を断念するが、10月26日、東南稜ルートから石黒久・加藤保男がポスト・モンスーン期(秋季)初登頂を果たす。