等持院
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等持院 | |
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![]() 庭園と清漣亭 |
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所在地 | 京都府京都市北区等持院北町63 |
位置 | 北緯35度1分53.58秒 東経135度43分24.49秒 |
山号 | 萬年山 |
宗派 | 臨済宗天龍寺派 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
創建年 | 1341年(暦応2年) |
開基 | 足利尊氏 |
正式名 | |
別称 | |
札所等 | |
文化財 | 紙本淡彩等持寺絵図(重要文化財) |
等持院(とうじいん)は、京都府京都市北区にある臨済宗天龍寺派の寺院。山号は万年山。足利尊氏の墓所としても知られる。
目次 |
[編集] 歴史
足利尊氏は、1341年(暦応2年)に現在の京都市中京区柳馬場御池付近に等持寺を建立し、その2年後の1343年、現在の京都市北区等持院北町に別院北等持寺を建立した。尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を「等持院」と改称した。その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺になった。
作家の水上勉は小坊主としてこの寺に寄宿していた。その当時の住職は栂道節で、京都商業学校(現京都学園高等学校)野球部にいた沢村栄治を東京巨人軍専務取締役市岡忠男に紹介した。
[編集] 伽藍、庭園
- 方丈
- 庭園
- 夢窓国師作と伝えられるが、様式的には江戸時代中頃の作と言われている。方丈の北の庭には池をはさんだ対岸に茶室清漣亭がある。庭の中程には尊氏の墓と伝えられる宝篋印塔がある。庭園は本来は衣笠山を借景としていたが、立命館大学衣笠キャンパスの拡充により、今では校舎に眺めを遮られている。
- 霊光殿
[編集] 文化財
- 紙本淡彩等持寺絵図 - 国の重要文化財。