箱館湾海戦
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箱館湾海戦 | |
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箱館湾海戦(1869年5月)の様子。手前は明治新政府軍の春日丸・甲鉄艦 |
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戦争: 戊辰戦争 | |
年月日: 1869年4月9日~5月11日 | |
場所: 函館 湾 | |
結果: 明治新政府軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
明治新政府 | 蝦夷共和国 |
指揮官 | |
荒井郁之助 | |
戦力 | |
軍艦6隻 | 軍艦3隻 |
損害 | |
撃沈1隻 | 座礁2隻 拿捕1隻 |
箱館湾海戦(はこだてわんかいせん)は、戊辰戦争の一連の戦闘のうち箱館戦争の中の1戦闘であり、1869年4月9日の明治新政府軍の蝦夷上陸から5月11日の箱館総攻撃までの間に行われた海戦である。
[編集] 戦闘の経過
蝦夷共和国の艦隊は回天丸を中心に、蟠龍丸、千代田形丸の3隻の軍艦から成っていた。
それに対し新政府軍は、甲鉄艦を旗艦として、朝陽丸、春日丸、陽春丸、延年丸、丁卯丸の6隻の軍艦から成り、艦砲射撃で陸上の要塞を破壊して陸上部隊の上陸を支援する事を主任務としていた。
4月30日に千代田形丸が新政府側に拿捕され、蝦夷共和国の軍艦は回天丸と蟠龍丸だけになる。両艦とも数多くの命中弾を受けながらよく戦ったが、5月7日に回天の機関部が損傷し、弁天台場付近で意図的に座礁させ、浮遊砲台的に利用されるようになる。
5月11日の箱館総攻撃の折には、蟠龍丸が新政府軍の朝陽丸の弾薬庫に砲弾を命中させ、朝陽丸は爆発轟沈。これによって蝦夷共和国軍の士気を大いに高めるが、程なく蟠龍丸も浅瀬に乗り上げて座礁してしまう。
蝦夷共和国が軍艦を全て損失してしまった事により、箱館戦争の海戦は終了し、戊辰戦争の最終舞台は陸上戦へと移り変わっていく事になる。
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