東艦
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東艦(あずまかん、旧名ストーンウォール・ジャクソン(甲鉄艦)(Stonewall Jackson))は、日本初の装甲軍艦で、日本海軍の草創期の艦。マスト2本のいわゆるブリッグと呼ばれる船である。排水量1,358t。
甲鉄艦(こうてつかん)は、一般には鋼鉄製装甲の軍艦(装甲艦、Ironclad)を指す言葉で固有名詞ではないが、幕末から明治にかけての日本史では、本艦を指すことが多い。
[編集] 概要
- 軍艦ストーンウォールは、南北戦争中に南部連合がフランスに発注し建造された。終戦後はアメリカ合衆国に帰属した。
- 慶応3年(1867年)に小野友五郎を代表とする江戸幕府の訪米使節がアメリカに買取を約束したが、翌慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発して幕府が瓦解すると、新政府側がストーンウォールを買い取りたいと言い出した。旧幕府側はこれに反発。横浜に至ったアメリカ側は、戦争の決着がつくまでストーンウォールをどちらにも売る気はないと、局外中立を宣言した。しかし奥羽越列藩同盟が崩壊し、榎本武揚ら旧幕府海軍が蝦夷地へ渡って蝦夷共和国を樹立させた頃には、明治政府が新たなる政府であることを認めて局外中立を撤廃。まだまだ財政が厳しかった明治政府は躊躇したが、明治2年(1869年)2月3日ストーンウォール(甲鉄艦)購入に踏み切った。
- 明治政府のストーンウォール(甲鉄艦)購入の知らせが箱館に届き危機を感じた榎本らは軍議の上、同艦の奪取作戦を計画。宮古湾海戦が起こった。榎本らは甲鉄艦の装甲を貫ける弾丸を開発しており、船に積んでいたと言われるが、その威力は試せないまま手酷い敗戦に終わる。
- 宮古湾海戦で旧幕府軍艦を追撃した後、青森に待機し、同年4月9日の新政府軍上陸に際して箱館湾に出撃。箱館湾海戦を経て旧幕府軍の降伏に至った。箱館戦争後、1871年12月7日甲鉄艦は名を東艦と改められた。
- 艦砲の性能が悪かったと言われている。[要出典]
- 1888年に、除籍された。
- 解体のため民間に売却された東艦の装甲板は浅草発電所のトランスの鉄芯に再利用された。
[編集] 参考文献
- 中村彰彦『軍艦「甲鉄」始末』(新人物往来社、2005年) ISBN 4404032889
[編集] 関連項目
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