結城聡
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結城 聡(ゆうき さとし、昭和47年(1972年)2月11日 -)は、囲碁の棋士。兵庫県出身、関西棋院所属、佐藤直男九段門下、九段。早碁選手権戦、鶴聖戦優勝、棋聖戦挑戦など、同時代の関西棋院の棋士の中では突出した成績を挙げ、関西棋院最優秀棋士賞7回。石の働きを追求する戦闘的な棋風で「武闘派」と呼ばれる。
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[編集] 経歴
8歳の誕生日にアマチュア六段の父から囲碁を習い、アマチュア強豪の西村修の教えを受ける。小学4年の時に少年少女囲碁大会の小学生の部で7位となり、その後佐藤直男九段の子供囲碁教室に入り「将来名人になる」と言われる。翌年は3位となり、関西棋院院生となる。1984年12歳で、関西棋院では橋本昌二以来の最年少記録(当時)で入段。藤沢秀行の研究会にも参加し、坊主頭だったため「少林寺」という綽名を付けられる。
1987年「棋道」誌の共立住販杯プロアマ対抗八強トーナメント戦で優勝。同年15歳で五段となり、関西棋院のホープとして期待を集める。この頃「月刊碁学」誌上で、今村俊也、陳嘉鋭らとの三番碁を行う。1990年に新人王戦決勝三番勝負に進み、依田紀基に1-2で敗れるが、1993年には三村智保に2-0で勝って優勝。1991年19歳で早碁選手権の決勝に進み趙治勲に敗れるが、この時は「碁界の若花田」とも報道された。1993年に本因坊戦リーグ入り、翌年のリーグ戦では5勝2敗の同率プレーオフで加藤正夫に敗れる。1995年に早碁選手権戦の決勝で林海峰に勝って初タイトル。1996年「棋道」誌1〜4月号の企画で、「平成の名勝負」と銘打って依田紀基と持ち時間1人16時間の32時間1番勝負を行い、黒番中押勝ちする。 1997年九段。2003年に鶴聖戦、2004年に後継棋戦のJALスーパー早碁で連続優勝。2005年に棋聖戦挑戦者となり、関西棋院としては1977年第1期棋聖戦の橋本宇太郎以来の7番勝負となるが、羽根直樹棋聖に3-4で敗れる。
2005年末までの通算成績は、779勝284敗2ジゴ。
1994年「文藝春秋」誌の企画「2001年日本の顔」に、囲碁界から選出される。1997年にはNHK教育テレビの囲碁講座「中盤戦に強くなろう」の講師を務める。2006年に結婚。坂井秀至とは「佐藤直男子供囲碁教室」時代からの交友。趣味は鉄道、カラオケの十八番は「碧いうさぎ」。
[編集] タイトル歴
- 新人王戦 1993年
- 早碁選手権戦 1995年
- 関西棋院第一位決定戦 1996、2006年
- 鶴聖戦 2003年
- JALスーパー早碁 2003年
- 竜星戦 2005年
- 産経アマプロトーナメント戦 2005、06年
[編集] その他の棋歴
国内棋戦
- 棋聖戦 各段戦優勝 五段戦 1988年、六段戦 1990年、七段戦 1993年、八段戦 1994、1995、1997年
- 新人王戦 準優勝 1990年(決勝で依田紀基に1-2)
- 早碁選手権戦 準優勝 1991年(決勝で超治勲に敗れる)
- 碁聖戦 挑戦者 1997年(依田紀基に1-3)、2002年(小林光一に1-3)、2005年(依田紀基に0-3)
- リコー杯プロペア碁選手権戦 優勝 1995年(知念かおりとペア)
- 棋聖戦 挑戦者 2005年(羽根直樹に3-4)
- 竜星戦 準優勝 2006年
- 棋聖戦リーグ3期、名人戦リーグ1期、本因坊戦リーグ4期
国際棋戦
- 春蘭杯世界囲碁選手権戦 ベスト8 2002年
- トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦 ベスト8 2004年
- 世界囲碁選手権富士通杯 ベスト8 2006年
- 日中スーパー囲碁
- 1993年 0-1(×陳臨新)
- CSK杯囲碁アジア対抗戦
[編集] 著作
- 『戦いに強くなる方法 (真・囲碁講座シリーズ2)』 毎日コミュニケーションズ 2004年
- 『結城聡名局細解 』 誠文堂新光社 2005年
[編集] 参考文献
- 『NHK囲碁講座』1997年4-9月号 日本放送出版協会
- 大島正雄「世界一を目指す超新星群像 第5回」(『日本棋院#棋道|棋道』誌1998年5月号)
- 『第二九期棋聖決定七番勝負激闘譜』読売新聞社 2005年