綽如
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綽如(しゃくにょ、観応元年/正平5年3月15日(1350年4月22日) - 明徳4年4月24日(1393年6月4日))は、南北朝時代の浄土真宗の僧。父は善如。権大納言日野時光の猶子となる。幼名は光徳麿。諱は時芸。山城本願寺第5世。
得度した後、権大僧都に任じられた。1390年に宗務を継いだが、まもなくその職を法嗣である巧如(玄康)に譲り、越中国杉谷に隠遁した。朝廷に献じられた異国の書を度々読み、後小松天皇にその才を認められて周円上人の号を賜った。宮中で無量寿経を講じ、聖徳太子の肖像とその伝絵8巻を賜っている。住寺を越中国井波に移し、瑞泉寺の勅号を賜った。
先代:善如 | 浄土真宗 | 次代:巧如 |
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