織田俊長
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織田俊長(おだ としなが、生没年不詳)は、戦国時代の武将。織田長益の三男。通称は右衛門佐。
父長益の意向に従い、出家し、僧侶となる。京都の妙心寺大雲院に暮らす。しかし、父の同意を得ずに還俗し、不仲となる。
正室はいない。子女に長男長次あり。また、「大和柳本織田家譜」によれば、孫則長らの子孫を確認できる。
なお、肥前鹿島藩鍋島家に織田俊長の子孫を称する藩士を確認できる。同家の伝承によれば、肥前鹿島藩主鍋島直朝に嫁ぐことになった花山院氏に従って京都から下向し、父長益の死去(隠居料の没収)にともなって、そのまま同家に仕えることになったという。しかし、父長益の死去した翌年の元和8年(1622年)に鍋島直朝は生まれており、その信憑性は低い。