織田信乗
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織田 信乗(おだ のぶのり、生年不明 - 明和9年9月16日(1772年10月12日))は、上野小幡藩の第4代藩主・織田信就の三男。通称は数馬。
享保12年(1727年)3月27日、父信就の嫡子になった。兄信房の廃嫡にともなうものであった。享保15年(1730年)10月16日、眼病が治らないため、廃嫡された。代わって、弟信右が嫡子になった。明和9年(1772年)9月16日、死去。
正室はいない。『寛政重修諸家譜』によれば、ニ女あり。長女は滝川利端妻。次女は織田信邦室。ただし、「御代々様・御連枝様方御事跡」によれば、次女(織田信邦室)は養女(実父織田信右)としている。おそらく、信右が部屋住のときに生まれた娘であり、嫡子になった信乗が引き取ったのであろう。