寛政重修諸家譜
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寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)は、18世紀末から19世紀初頭にかけて江戸幕府が編纂した大名・旗本の系譜集(系図)である。
徳川家光の代に編纂された『寛永諸家系図伝』、新井白石編纂による『藩翰譜』の続集。1799年に総裁堀田正敦、林述斎らが中核として編纂され、各大名家・旗本からの提出記録をもとに、校訂が行われた。御三家など、親藩の系譜は含まれない。女性の名前はすべて「女子」とのみ記されているため、女性の名前や生没年を調査する場合は、別途史料と比較される。
江戸時代における大名・旗本の履歴や家族構成を調べる上での基本史料であるものの、正確に実態を記しているわけではない。例えば、幕府に出生を届けられなかった子女(主として早世したもの)は記載されていない。また、当主の出生年は、相続時における減封などの処罰を避けるため、実際よりもさかのぼっていることが多い。
[編集] 寛永諸家系図伝との比較
寛永諸家系図伝では、記録を提出した家によって兄弟姉妹の配列順が不統一であるが、寛政重修諸家譜においては、兄弟姉妹を長幼の順に並べ直す方針がとられた。しかし、寛永諸家系図伝の編纂時から歳月を経ていることもあり、完全には修正されていない。
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