織田貞則
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織田貞則(おだ さだのり、慶安2年(1649年) - 宝永6年4月4日(1709年5月13日))は江戸時代の旗本。高家旗本織田貞置の三男。生母は織田長政の娘。通称は半弥、三省。
寛文7年(1667年)11月21日、書院番に加えられる。寛文9年(1669年)12月21日、蔵米300俵を与えられる。天和2年(1682年)6月2日父貞置から近江国神崎郡境村・南村内で300石を分け与えられる。蔵米は幕府に返上する。後に書院番を辞め、小普請組に所属する。宝永元年(1704年)12月2日隠居し、養子信種に家督を譲る。以後、三省と号する。宝永6年(1709年)4月4日死去、61歳。
正妻は稲葉通義の娘。子女はいない。養子信種は旗本織田信成の三男。
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