義堂周信
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義堂 周信(ぎどう しゅうしん、1325年3月1日(正中2年閏1月16日) - 1388年5月10日(元中5年/嘉慶2年4月4日))は、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧である。空華道人。
土佐国高岡(高知県高岡郡津野町)の生まれ。京都比叡山で足利将軍家とも親密であった夢窓疎石の弟子となる。1359年(延文4)に幕府が関東地方の統治のために設置した鎌倉公方の足利基氏に招かれて鎌倉へ赴き、基氏や関東管領の上杉氏などに禅宗を教える。1379年(康暦元)に上京し、3代将軍足利義満の家庭教師的存在となる。相国寺建立を進言し、建仁寺住職、1386年には南禅寺の住職となり、等持寺住職も務めた。
春屋妙葩や絶海中津と並び中国文化に通じた京都五山を代表する学問僧とされている。
[編集] 著作
- 『義堂和尚語録』
- 『空華集』
- 『空華日用工夫略集』