船橋サーキット
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船橋サーキット(ふなばし- )は、かつて千葉県船橋市の船橋ヘルスセンター内に存在したサーキット。
1965年7月1日開設、1967年7月閉鎖と、営業期間はわずか2年ほどに過ぎなかったが、浮谷東次郎と生沢徹が激戦を繰り広げた1965年の全日本自動車クラブ選手権など数多くの名勝負の舞台となったことから、オールドファンの間では今も伝説のサーキットとして語り継がれている。
[編集] 歴史
当時目新しいレジャー施設を探していた船橋ヘルスセンターにサーキット建設の話が持ち込まれ開設に至った。たまたま伊豆韮山サーキットの設計依頼をうけて来日していたピエール・タルフィが船橋サーキットの設計をすることになった。
船橋サーキットはヨーロピアン・タイプのテクニカルなコース設定で、非常にトリッキーであったようである。鈴鹿サーキットや富士スピードウェイと比較して、敷地面積が3万坪(99,174㎡)と小さかったため、その敷地をフルに活用するための苦肉の策だったらしい。直線600m、25RのS字、20Rのソックスカーブ、360Rのコーナーを巧みに組み合わせて3.1km/2.4km/1.8kmの3つのコースがとれるように設計されていた。 1.8kmの外周(オーバル)コースを使用しているときは、内側でジムカーナも同時開催できるようになっていた。
1.8kmコースはストックカーレース、2.4kmコースはクラブマンレース、3.1kmコースはジュニアチャンピオンレースに使用され、主催者によってコースが違うという変化に飛んだレース展開となっていた。
施設は11,000人のスタンド席と、立見を含めると5万人程度が収容可能な仮設スタンドが建設され、どこにいてもサーキット全体が見渡せるようになっていた。
開設された年は7レースが主催されたが、経営上の問題で、1967年7月の全日本ジュニアチャンピオンレースを最後に閉鎖となり、その後はオートレース場(船橋オートレース場)となった。