花はどこへ行った
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「花はどこへ行った」(はなはどこへいった、原題 Where have all the flowers gone?)は、世界で一番有名な反戦歌とも言われるフォークの不朽の名曲である。アメリカンフォークの父とも形容されるピート・シーガーによる作詞作曲であり、シーガーの代表作でもある。
目次 |
[編集] 歴史
1955年、ピート・シーガーが制作。だが、この頃はまだ反戦歌としては歌われていなかった。
1962年、アメリカ合衆国がベトナム戦争真っ只中であった時期に、キングストン・トリオによって同曲はカヴァーされ、大ヒットとなった。また同年、ピーター・ポール&マリーによってもカヴァーされ、こちらも大ヒットとなり、この年(つまり初版の実に7年後)以降、同曲は反戦歌として広く親しまれるようになり、現在に至っている。
[編集] 歌詞の構成・メッセージ
「花はどこへ行った 少女がつんだ」→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。
素朴な語彙・繰り返しと、意味の深さのコントラストが非常に印象的である。
また、最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉でしめられているため、「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。
また、歌詞冒頭の「花はどこへ行った」というフレーズはそのまま題名にもなっているので、一度歌詞全体を知った者は、タイトルの「花はどこへ行った」を耳にするだけで、一方で、そのフレーズが元来持つはずの素朴で子供らしい意味を感じ、他方で連想によって歌詞全体が持つ深い悲しみを同時に感じることになり、二つの意味のあまりの落差に、めまいに似た感覚を感じることになる。
[編集] 世界での有名なカヴァー
[編集] ピート・シーガー
制作者本人のものであり、本来はこれこそがオリジナルである。もっとも、本来ならば適切ではない表現であるかもしれないが、カバー曲のほうが先に大いにヒットしたため、制作者のオリジナルが逆に「セルフカヴァー」として理解されていることも多い。 現在このバージョンは、シーガーの「希望と闘争の歌(原題: IF I HAD A HAMMER: SONGS OF HOPE & STRUGGLE)」、「エッセンシャル・ピート・シーガー」等のCDで聴くことができる。 このオリジナルバージョンではカントリー色の強いもので、フォーク色はむしろ弱い。後年に発表されたものと比べてやや軽いノリとの印象を与える。ここから、元々は反戦歌を意図していたものではなかったことが伺えるのである。
[編集] キングストン・トリオ
モダンフォークとポップスの融合を果たしたことで有名なキングストン・トリオも同曲をカヴァーしている。奇しくもそれはピーター・ポール&マリーと同年である。ヒットそのものはこちらのほうが先である。一番最初にこの楽曲をヒットさせたグループとしても知られている。
[編集] ピーター・ポール&マリー
日本においてで最も有名なカヴァーバージョンといえる。この楽曲が「反戦歌」として定着したのはこのグループによるものが大きいといわれる。積極的な反戦運動の中でこの曲を積極的に取り上げて歌唱していた。音源としてはファーストアルバム「ピーター・ポール&マリー」などに収録されている。
[編集] 日本でのカヴァー
[編集] ザ・リガニーズ
ザ・リガニーズによるもの。おおたたかしの訳詞。1966年発表。おそらく、日本で最初の同曲のカヴァー音源と考えられる。以後、日本の「花はどこへ行った」といえば、一部を除きほぼ全てがこの、おおたたかし の訳詞で歌唱されている。
[編集] ザ・フォーク・クルセダーズ
ザ・フォーク・クルセダーズ(略称「フォークル」)も同曲をカヴァーしている。しかし、これは2002年の新結成時であり、同年に発表された新作「戦争と平和」内で原詞のままで歌われている。歌唱は加藤和彦、北山修、坂崎幸之助ら、当時のメンバー全員で歌われている。全体的に構成はシンプルにまとめられており、フォークルらしいアレンジに仕上がっている。因みに、トラック上はこの楽曲の次に花~すべての人の心に花を~が来るように意図的に構成されており、アレンジもそのまま似せている。なお、これ以前にもライブなどでは歌われたという説も存在するが資料が存在しないために詳細は不明。
[編集] Mr.Children
Mr.Children(略称「ミスチル」)もカヴァーしている。但し、こちらは原詞から大幅に意訳されており、反戦歌というよりは社会風刺曲へと変化している。訳詞は田原健一、アレンジは小林武史。本来はinnocent worldのB面としてシングルカットされるはずの楽曲であったが、意訳があまりにも本来の意味とかけ離れていることからカヴァーとして認められずお蔵入りとなった。ブートではスタジオ録音のものが出回っているためか、ミスチルファンの間ではミスチルで最も有名な未発表曲としても知られる。 なお、この楽曲は「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」でも一度限り完成版が披露され、Mr.Childrenの未発表曲としてはメジャーデビュー後唯一「テレビで演奏された」未発表曲でもあり、1994年~1997年ごろまではライブレパートリーとしても時折演奏されていた。
[編集] The Water Of Life
The Water Of Life。清水和彦(インディーズのアーティスト、2004年に急逝)も1997年のメジャーデビュー時のマキシシングルの『うそ』の4トラック目にボーナストラック的に収録している(因みにマキシシングルは当時としては珍しかった)。詞はおおたたかしの訳詞を使用。歌唱しているのは1番のみであるが、原曲のイメージを大切にほぼギター弾き語り一本で歌い切っている。ライブやラジオで演奏する際にはその先の歌詞もきちんと歌っていたようであるが、詳細な資料が存在しないために現在において確認はほぼ不可能である。