芸予地震
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芸予地震(げいよじしん)は、広島県の旧名・安芸国の「芸」と愛媛県の旧伊予国の「予」を其々、命名した瀬戸内海西部を中心(広島県南部や愛媛県北部等)とした地震。フィリピン海プレートの動きが原因だと考えられている。芸予地震と名がついた地震は1905年と2001年の2回があり、区別のために発生年を冠して - 年芸予地震と呼ばれる。
この震源付近では、1649年、1686年、1857年、にもマグニチュード7級の地震が発生している。2001年の地震は、やはり人的被害を出した1905年の「明治芸予地震」からほぼ100年後であり、発生時期が予測可能であると主張する研究者もいる。
[編集] 1905年芸予地震
- 発生:1905年6月2日
- 死者:11名
[編集] 2001年芸予地震
- 発生:2001年3月24日15時28分 (JST)
- 震源:安芸灘(北緯34度07.7分 東経132度41.7分)深さは46km
- 地震の規模:マグニチュード6.7
- 最大震度:6弱(広島県賀茂郡河内町中河内(現:東広島市河内町中河内)、広島県豊田郡大崎上島町中野、広島県安芸郡熊野町)
また、翌々日の3月26日5時40分 (JST) には最大震度が5強の余震も発生した。マグニチュードは5.2。当時は向こう10年は地震に警戒するようにと警告も出ていたが、今では芸予地震の発生日を正確に言える人はごく僅かであり、芸予地震そのものを忘れてしまっている人も多いため、その心配は薄らいでしまっている。家具の耐震対策実施も広島県は全国平均より低い。
[編集] 被害
広島・愛媛両県を中心とした中国・四国地方で以下の被害が発生した。
- 死者2名
- 重傷者43名
- 軽傷者245名
- 住家全壊70棟
- 住家半壊774棟
- 住家一部損壊49,223棟