苫米地事件
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苫米地事件(とまべちじけん)とは、衆議院の解散により衆議院議員の職を失った原告・苫米地義三(とまべじぎぞう)が、任期満了までの職の確認と歳費の支給を訴えて争った事件。原告の名をとってこう呼ばれる。また、判決は苫米地判決とも呼ばれる。統治行為論が大きな争点となった。
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[編集] 概要
第3次吉田内閣は昭和27年(1952年)8月28日、日本国憲法第7条によって衆議院を解散した(抜き打ち解散)。原告苫米地義三は当時衆議院議員だったが、この解散により失職した(第25回衆議院議員総選挙で落選)。第7条による衆議院解散は初めてのケースであったため、原告は同第69条によらない解散は憲法に違反すると主張した。
なおこれに先立ち苫米地は本件について最高裁判所に直接出訴したが、最高裁は警察予備隊違憲訴訟の先例によって訴えを却下している。
[編集] 判決
下級審では統治行為論を否定したが、一審(東京地方裁判所昭和28年10月19日判決)では請求認容、二審(東京高等裁判所昭和29年9月22日判決)では一審破棄、原告敗訴と結論が分かれた。最高裁判所昭和35年6月8日大法廷判決は、衆議院解散に高度の政治性を認め、違法の審査は裁判所の権限の外にあるとする「統治行為論」を採用して違法性の判断を回避、上告を棄却した。なお、解散について合憲性判断を行い得るとし、それにしたがって本解散が合憲・有効であるとする少数意見がある。
なお、統治行為論の考え方は前年の砂川事件最高裁判決で示されているところであり、本判決の統治行為論もそれを踏襲したものと見られる。