菅野真道
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菅野真道(すがののまみち)、741年(天平13年) - 814年7月23日(弘仁5年6月29日)は、平安時代初期の公卿。最高官位は従三位。元々は渡来人系の氏族であるの姓である津連(つのむらじ)を名乗っていたが、790年(延暦9年)に菅野朝臣の姓を下賜されている。
778年(宝亀9年)少内記に任じられ、右衛士少尉・左右衛佐・東宮学士・図書頭を歴任した。桓武天皇の信任が厚く、平安京への遷都の事業にも深く関与し、805年(延暦24年)には参議に任じられた。藤原継縄・秋篠安人とともに「続日本紀」の撰者として有名。806年には桓武天皇の御前で藤原緒嗣といわゆる「徳政論争」を行った。